歩いていたら街外れだった








ハロー、昨日はバンドメンバーでバカンスということで浦安にある夢の国へ。
バンドで!?という疑問に思うだろうが、これが僕らであり何物でもない。メンバー全員そういう意味で崩壊しているからね。だから非常に楽しめた。
夢の国とかどこでも僕らは自分たちの空間を楽しむ。だから、僕は大はしゃぎできた。恋人と二人きりとかでは、僕は本気を出せないんだよ。
かっこつけなセリフを書いてみたが、まったくクールさなんてないね。
ただ、僕ら、お互いの異常さが好きでたまらない。そして、ディズニーはすごく楽しい。
大幅に話は変わるが、気温も下がってきたのか、ここ最近寂しさを感じることが多い。その寂しさは、僕がとか個人的な要因ではなく。すべての基軸になる時間軸に触れるたびに思う。
物事、人、環境は時間ともに風化し、構築される。そのような課程を見つめてしまうと寂しさを感じる。
そこにある寂しさに悲しみというような感情はなく、ただ無機質な感情が死んだ人のように横たわっている。
それは僕の中にある何かの感覚や感情に触れる。それが僕を蝕む病巣なのか、カビのように無意味に張り付くものなのかは分からない。
ただ、冷たい寂しさだけが支配する。電車に置き忘れた傘。そこにある寂しさと同等に思える。
最近、悲しみ、喜びというわかりやすい感情を感じることさえも、鈍感になってきている。また、自分の感情が複合的すぎてそれをすべて感じることに億劫なだけなのか。
だから欲望のみに従いやすい。彼らは無垢でそしてすごく純粋だから。
薫からよく言われるが、草食系の肉食系。
僕は一人称だからよくわからないが。
何かをやるののが面倒なわけじゃなく。僕は自分に内包するする感覚を理解することに面倒だ。
結論、秋の夜長にのみ、寂しさがすべての闇を支配し、満たす。
トリック オア トリート