想像に含まれる成分

ハロー、なんとなく寂しさ、切なさを感じてしまう今日この頃。
ここ二日、地元の友人が用事で僕の家に滞在している。いやはやとにかく楽しめている。しかし、夜まで友人は用事なので僕は家で時間を持て余している。
一人でスタジオに入ったり、ライブのDVDを見たりしている。
今日はある作品により非常に震えた。昨日は士道18巻で震えたが今日はことなる震え。
時間軸のブレを含む色恋沙汰のような話なのだが、話事態にというより、そこに含まれる人の意思、僕の主観から判断されることなど含めて考えたらセンチな気持ちになった。
ここ最近は、難病患いの恋話が多くて苦痛だったが、時間軸という新たな観点を考えるよいと発想だ。ありがちといえば、ありがちだが、そこに含まれる幻想的な切なさの方が僕にとっては受け入れやすい。
人によってはリアルなものを好むの者もいるが、何かの作品に対してリアルを突き付ける結果、見る者の主観を入れられないで何も伝わらないものが多い気が。
僕は、その手の恋愛ものの作品が増えたおかげで敬遠してる節がある。決して嫌いでもないが、現実とリアルのサジ加減が悪いものは非常に見ていて気分を害すし、笑えてきてしまう。
やはり、どこか見ていて曖昧で甘美であるものの方が心に残る。だからといって景色描写ばかりのものも嫌いだ。わざわざ、娯楽として受け止めたいに、国語の試験のように読み取らなきゃならんものわね。
僕は、名作と呼ばれるものの判別基準はここにあると思うのだが。
なんにしろ、どこか納得いかず、心の芯のような部分を寂しさや切なさにえぐられるような感覚が好きだ。
そして、そのえぐられた部分について考え、表現することが僕にとって大切なことだと思う。
最近は何か痛みのような、なんというか絶望感でもないけどそんな感覚を絶えず感じていたいと思う。
満足や幸福感だけだと僕は何もなくなってしまうような。これに関しても、二つのバランスなんだが。その比率について考えてしまう。
その黄金比を見つけるため生きているような気がする。
かなり長ったらしい文章になったが、僕個人は精神的にも肉体的にも健康である。
ただ、ふと考えてしまうとついついこんな感じに。
話は変わるが、これから友人と焼肉を食いに行ってきます。ビールを飲みながら、肉を堪能してこようかな。
明日は久しぶりのリハなので、クリスマスや正月を待つ子供のような気分。20歳を超えても、楽しみと思うことにはわくわくしてしまう。
では、おやすみ