他人に狂気を投げかける、ただ笑ってやり過ごせばいいだけだ

ハロー、先ほど両親から連絡がきて、『お前のブログはバンドに対して病んでいるのか?』的な投げかけがあった。思い起こしてみてもそんな内容の文章を書いた覚えがないんだが。
ブログというメディアが不特定多数の他人に対して与えるイメージが統一されていなんだなと実感。
そうやって僕は他者に対して傷つけているのかもしれない。しかし、そういった思い違いはよくあることであり、深く考えなくてよいと僕は考えている。
それを嘲笑する他者が存在していてもいいけど、思い違いで伝達された言葉を深く考えることに僕は億劫なのだが。
すべての事実に対して目を開くか、閉じるかはそれは個人の選択であり、そこに強制はない。
バンドのことについて述べるのなら。今は次のステップに向け新曲を制作している。僕としては、すごく新鮮に音楽を奏でられているし、リハを無邪気に楽しめている。
次回のライブに向けても高いモチベーションで望めそうだ。
不安はないわけではないけど、それを感じなくなったら終わりだと僕は思うよ。
また話は変わるけど、音楽は芸術の分野に入ると僕は考えている。だから、クラシックもロックも一緒なんじゃないかと。だから、学生の時は、吹奏楽と軽音は別物で後者を卑しいモノのようにみる人に出会うと吐き気がした。
僕は個人のくだらない括りの中ですべてを判断されることが大嫌いなのだ。
だから、僕の音楽の観点では商業的という言葉に称されることは非常に不名誉である。僕の視点ではあるけど、そうしたら、ショパンモーツアルトも卑しくなってしまうのではないだろうか。
食う、食えないではない。奏でたい、鳴らしたいが重要。あくまで、持論だが。
これはあくまで、僕の戯れ言だ。
また、書きなぐったような内容になってしまった。
年々、歳の数は増えていくけど、どうも冷静になれていないね。株価が表示されたパソコンの前で眼鏡をカチッと上に上げるようなクールマンになれたらいいのにね。
目に見えないものを表現することは難しい。そこには、確証なんてないんだもの。
では、おやすみ